暖かかったので、私のリフレッシュのため&娘への刺激のために、散歩しながら梅の花を見に来ました。
めじろやスズメ、カチガラスもいて2月なのに春の訪れを感じて、心がほんわか。

散歩をしていて
ふっと私から湧いてきたことがあったので、記録として残しておこうと思います。
相手のための行動は誰のためにもならないかも
相手のためにやったことが裏目になってしまうことってありますよね。
しんどいだろうなぁ〜と思って、手伝いをしても、相手にとってはして欲しくないことだったり。
- 主人のためを思って、栄養バランスを整えた料理をこしらえても、喜ばれなかったり
- 母が疲れているだろうと思って、夕飯を作っても、本当は母が作りたかったり
- 娘のためを思って作った薄味の離乳食を娘は嫌な顔して食べなかったり
良かれと思って「やっていること」や「言っていること」は実は、ありがた迷惑だったと相手にとってはどうでもいいことだったりするのかも。
逆も然り。
母が良かれと思ってしてくれたことも私にとってはただのお節介や過干渉と捉えてしまったり。
激痩せした私のためにご飯をたくさん作ってくれるけど、そんなにいらない…
娘のオムツが濡れてるんじゃないかと言ってくるけど、言うんじゃなくて気づいたら変えてほしい
主人が私の気持ちを整えられるようにそっとしておいてくれてるのに、私は話を聞いてもらえてないと感じる
娘の栄養や味覚を考えて作った薄味の離乳食。全く食べない。
だけど、大人が食べるものをすりつぶしたりして与えると喜んで食べる。
娘にとっては、味があるものがとても美味しくって、そっちの方がハッピーなのだ。
良かれと思ってやったことが実を結べばラッキーで、実を結ばないことが当たり前と捉えると、なんだか娘や母、主人に対して、感謝が出てくる。
娘、離乳食を毎回撒き散らしてくれてありがとう。こんな経験、娘がいなけりゃできないよ。
母、いつも心配事をぼやいてくれてありがとう。ぼやきが聞けるのは、母が生きてるから。
自分の良かれを取り除いて、
私が
「やりたいからやっている」行動がベスト。
その気持ちで動くと【自分のため】の行動がちょっとでも相手のためになっていれば、すごく心が満たされ、ハッピーなのだ。
自分のためにいれたハーブティーが自分を幸せにして、私のご機嫌オーラが家族を幸せにする
そう思うと、ご機嫌に集中することがみんなの幸せなのだ。

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